蘆花記念館
インタビュー

公開日:2019/12/18 | 更新日:2021/03/21
東京都
都営博物館
人物記念館

寄贈により残ることができた
徳冨蘆花が愛した武蔵野の原風景

夫人により家屋と土地および原稿などの遺品が寄贈され、公園と記念館になった施設。NPOやボランティアガイドも充実し、周辺の人達に親しまれている場所でありながら、所有者と管理者が別であるがゆえの苦労などを伺うことができました。

  • Date:2019.12.7 12:00~
    Interviewee:石井様(蘆花恒春園サービスセンター長)
    Interviewer:木原(フィールドアーカイヴ 代表)

質問1:この施設ができたきっかけ、なぜここに建てられたのかを教えてください

石井センター長
小説家の徳冨蘆花(1968-1927)は明治40年、40歳の時この地に移り住み、ここを「恒春園」と名づけ、自ら「美的百姓」を称して晴耕雨読の生活を送りました。この時の家屋が「徳冨蘆花旧宅」として残されています。

なぜこのように保存公開されているかというと、蘆花没後10周年忌に際し、夫人の愛子氏により土地・家屋・遺品の一切が東京市(当時)に寄贈されたからです。
市はこれを整備して、昭和13年、愛子氏の意向に沿って武蔵野の風景を保存し、蘆花の名を冠した公園「都立蘆花恒春園」として公開を開始しました。

蘆花記念館は、家屋とともに寄贈された身辺具、作品、原稿、手紙、農工具などの遺品を納めるために昭和34年に建設されました。遺品の一部を展示し、公開しています。

質問2:常設展示に際し、他の記念館にはないユニークな品や見せ方などは何ですか

石井センター長
蘆花に関する資料の所蔵はここが最大で、出身の熊本県にはあまり残っていません。愛用品により、晩年の暮らしぶりがよくわかります。
あとは、蘆花と愛子氏の墓で、長兄の徳富蘇峰氏が銘を刻んだ自然石の墓碑が恒春園の東側にあります。

見せ方としては、蘆花の縁者・研究者で構成されているNPO法人 蘆花会の協力により、4ヶ月ごとに展示ケース1台分の企画展示を入れ替えています。
それから、月に1度、ボランティアによるガイドを実施しています。

このような活動を定期的に行うことによって、徳冨蘆花についてよく知る方にも知らない方にもご満足いただけるように心がけています。

質問3:開館当初の見せ方から変化した部分はありますか、もしあればなぜ変化させましたか

木原
開館以来、新たにビデオ映像を制作したとか、増築した、パネルを増やした等の大規模リニューアルはありましたでしょうか?

石井センター長
昭和61年に東京都の史跡に指定されるのに伴い、展示室の拡張工事を行いました。また、平成22年に蘆花記念館の普及のため、ビデオ映像とパンフレットを制作しました。

木原
砂利道に綺麗な箒目をほどこしはじめたのはいつからでしょうか?なぜはじめたのか、もしおわかりになれば教えてください。

石井センター長
平成18年、指定管理者制度が導入され、東京都公園協会のスタッフが勤務するようになってからです。毎朝、園路を整えてお客様を気持ち良くお迎えするためです。

質問4:続けていくにあたって苦労されていること、お困りごとがもしあれば教えてください

石井センター長
資料の所有者が「東京都」なので、他の文学館の特別展への貸出しや、資料の撮影の際は都の許可が必要で、迅速な対応が難しいです。

一方で、老朽化した記念館の改修を都に整備要望していますが、一向に進まず、限られた展示スペースで、資料を十分に活用できていません。

質問5:その他、ご来場の方々に何かお伝えしたいことはありますか

石井センター長
徳冨蘆花の名を知らない方も、四季折々の公園の風景とともに無料でご覧いただけますので、ぜひご来園、ご来館ください。

そして、ちょっとでも蘆花に興味を持ちましたら是非、作品を読んでください。
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見学した際の感想

木原
開園したばかりの時間に訪れ、恐る恐る公園内に入って看板の地図を見ていたところ、「はじめてですか?」「パンフレットがありますから持ってきますね」とサービスセンターの方が気さくに声をかけてくださり、とても気持ちがなごみました。
その後も館内のおすすめ展示を熱く語ってくださり、入る前から見てまわるのが楽しみに。

記念館も旧宅も、本物であるがゆえの気配を感じ、正直、一人で歩き回るには怖かったのですが、あの何気ない明るい会話のおかげで奥のおすすめコーナーまでたどり着けました。

それから、園内は一面砂利道なのですが、よく見ると全てに枯山水のように綺麗な箒目がほどこされています。「これ毎日されているんですか?」と伺ったところ、当たり前かのように「そうですよ、構わず踏んでくださいね」とのこと。
ちょっとしたことですが、常日頃こういう心くばりをされている方々の存在こそが施設の何よりの宝だと感じました。