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公開日 : 2011/02/18 | 更新日 : 2011/05/14

社員の発明3

http://www.geocities.jp/ipstudy/invention3.htmlより
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社員の発明3

   作ベニーラ・ボー  2006.03.02作
まえがき

数えてみると、もう40年ちかく前になるんだ。・・・入社して音響機器の開発に従事しはじめた頃、なんてことない他社発明を、やむをえず有償で使用したことが、忘れられない。
カーステレオ関係で基本特許を取っていた個人発明家、伴五紀さん(故人)も、強烈な印象だった。
VTRの開発になってからは、S社の木原信敏さんが発明してきた内容にも、目をみはった。VTRが商品として大成長してからは、米国の、いわゆるサブマリン特許に、さんざん悩まされた。

ながい間、こういう社外の発明に、とても鍛えられた。そのおかげで、発明取りまとめなんかを、そこそこやれるようになりました。
この「社員の発明3」では、そんな、忘れられない社外発明からみを書いてみます。
1)電池ふた

入社当時、携帯用のラジオやオーディオレコーダーに使う電池を入れる場所のふたには、ちゃんとしたヒンジとか、しっかりロックする施錠の仕掛けとかがあって、数点の部品で出来ていました。これを原価低減するため、プラスチックの弾性を生かして、ふたを一部品で構成した発明が成立したのです。こういうふた、いったん外すと、どっかに居なくなってしまったりする問題がありますが、うんと安く生産できるのが、取り得です。今では、ぜんぜん珍しくない。

数点の従来部品で、これまで通り作りつづけるより、一点の部品に変えれば、特許使用料はらっても、安価になる。そこで、やむなく権利元のA社と特許使用契約を結んだのです。この経緯で、「発明って、オカネがからむ大事なもんだなー」という強いインパクトを受けました。もちろん、いまは権利が切れてます。

2)伴五紀さん

担当したオーディオテープレコーダー(当時は、たんにテープレコーダー。ビデオテープレコーダーがでてきたので、区別するため、こう言う)のなかでも、生産台数伸びたのが、カーステレオ。
(カートリッジに入ったエンドレステープの8トラック。これを聴きながら、月明かりの海岸通りをドライブするのが、かっちょ良かった)
この開発やるときに神経すりへらしたのが、東京理科大の先生(当時)で個人発明家、伴五紀(ばんいつき)さんの特許。

とにかく、たくさん出願されていて、どれも相当なクセ球。知っての通り、ページ数の多い特許明細書と、その図面を読んで、内容を判断するのは、心身ともに消耗します。でも、この訓練で、請求範囲の取り方や、明細書、図面のツボを体得することができました。いまとなっては、ただ懐かしい。調べたら、2003年に逝去されたとのことです。合掌。

3)木原信敏さん

ビデオテープレコーダー(VTR)に係ってから、いろいろ資料を調べるうちに、木原信敏さんのことを知りました。この世界の先達(せんだち)。
ビデオカセットからテープを引き出す、丸い鋼板ワッパの回動機構は、とっても独創的でスマートで、魅了された。この構造はS社の製品に採用されてました。

その後、 VHS方式のプロトタイプを正月休み返上で調べる機会がありました。そのとき、「マーケットを支配しそうなのは、、強力なM社の参入を前提とした、こっちのVHS方式」と主張。どーも、この意見で決まったわけではなく、それまでのイキサツから、その政略になったようで。
当初 、あんまりアカぬけない機構だったVHS方式も、改良を重ね、(木原さんはじめ)VTRの先達たちが書いた文献とか特許とかも参考にしながら、ずいぶん良くなりました。
「VTRの先達たち」とは、規格争いで競争した間柄ですが、技術的な基盤を築いた先輩として尊敬しています。
(もともとは、オーディオテープレコーダーの先達だな。S社の技術陣が著わした「ハイファイテープレコーダー」という本は、とっても役に立つ内容で、後に、韓国の技術者教育したときにも、参考書として使った。1969年に初版が出ましたが、その第一刷を持ってるぞ。これ見せびらかしても、誰も感心してくれない。奥付け見ると、1400円の値段。数万円の月給だったときに、高価な本だったな。)

VTR市場の勢いがピークとなりつつあった頃、木原さんの講演を聞く機会がありました。ナマで動いてる木原さんを見ることができて、うれしかった。質疑のときに、真っ先に挙手して「これから、どんなことをやりたいのですか」とたずねたら、その答えがおもしろかった。その要約「もう、VTRも飽きたので、これからは、いろんな絵を加工して組み合わせるパソコン技術開発に取り組む」。これは、つまりCG関連技術のこと。
お名前を冠した研究所で、そんな開発をやったらしい。その開発成果は、例のゲーム機に活かされた?あの人、もともと機械屋さんだったよな。その柔軟性に脱帽(ん?なんて古めかしい表現!)。

(ここから2006.4.2書き足し)このページを作ったら、まもなく関連ニュースが 飛び込んできました。「S社は3月30日、独立系の2研究所の活動を終了し、本体に移管すると発表した。 対象は100%出資の○○木原研究所と○○××研究所。画像・映像処理の研究開発を手掛けてきた木原研は 6月末に活動を終了し、開発テーマと社員約70人は4月1日付けでS社技術開発本部に移管する。事業再編の一環。・・・」。 やっぱり例のゲーム機エンジン開発を手がけたんだ。ひとつの時代が去ってゆく・・・。(ここまで2006.4.2書き足し)
(ここから2011.02.17書き足し:2011.02.13木原信敏氏逝去。読売記事をコピー「ソニー元専務。1950年、磁気テープを作る方法を開発し、日本初のテープレコーダーを完成させた。64年には世界初の家庭用VTRの開発にも成功し、ソニーを技術面で支えた。享年84歳。)

(このページに、続けて米国のサブマリン特許なんかも書こうと思ってましたが、長くなりそうなので、それはまた、別の「社員の発明4」に)

(社員の発明3:完)
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