• 銀座おとな塾 3 京都色歳時記

    by  • 2010年6月19日 • 銀座おとな塾レポート

    日 時:6月13日(日)13時~14時30分講座内容:第3回 「京都色歳時記」
          *吉岡先生の工房で紅色に染められた和三盆糖 + 一保堂茶舗の京番茶(冷)
    講師:染織史家 吉岡幸雄 → 公式サイト 「紫のゆかり」~吉岡幸雄の色彩界

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    こちらが今回の「京都色歳時記」のポスター。

    (ほっこりタイムのお菓子とお茶の説明がなくなっていますね…。いつもそれを参考に書いていたのにあせる

    銀座おとな塾と和の学校とのコラボ企画「京都のこころを銀座で学ぶ」の第3回目ビックリマーク

    この講座は、シリーズ通してレギュラー会員で参加している方が多いのかと思っていましたが、1回ごとのビジター会員のほうが多いようです。

    今回も、吉岡先生の講座は必ず出席しています!という熱烈なファンの方々が大勢来ていらっしゃいました。

    ——————————————- はじめに ——————————————-

    まずは和の学校の吉田さんによる和の学校の説明と講師のご紹介。

    …すいません。

    今回は写真撮り忘れておりました。あせる
    「松阪木綿」という着物で、後で説明しますが、濃い藍色の素敵な柄の着物でした。
    講義前に撮った写真はこちら

    吉岡先生と和の学校との関係は、和の学校設立時からで、立ち上げから協力していただいていたそうです。

    和の学校のサイトにも「色の万華鏡」というコラムが掲載されています。

    東大寺でのお水取の造り花を毎年奉納したり、日本の伝統的な行事に精通していらっしゃる方とのご紹介でした。

    精通していらっしゃるとのことだったで、文学に詳しい技術肌の染色職人さん、かと想像していたら、とんでもない。爆弾

    42歳で生家「染司よしおか」五代目当主を嗣ぐ前に、すでにものすごい経歴をお持ちなのでした。

    ————–

    早稲田大学第一文学部卒業後、美術図書出版「紫紅社」を設立。
    『根来』、『琳派』(全5巻)など多数の美術工芸図書を出版。
    『染織の美』(全30巻)、『日本の意匠』(全16巻)の編集長。
    美術展覧会「日本の色」「桜」(銀座松屋)企画、監修。
    ————–

    詳しいなんてものではなく、専門家といってもいい方が、染司になられたのでした。

    私、紫紅社の本、何冊か持ってます。
    なぜ私はこんなスゴい方を今まで存じ上げなかったのでしょう(すいません汗

    実際、お話をうかがって、一つ一つの内容が非常に濃く、大変面白かったです。

    こういう方が学校の先生だったら授業が楽しかったなぁ音譜
    本当に理解して、自分の言葉として話されているからわかりやすいんだろうな。
    でも、肝心の私が理解不足なもので、ついていけてなかった。。。 叫び

    内容はずいぶん軽くまとめ直しましたので、本来の濃いお話は、是非、実際に先生の講座をどこかに聞きにいっていただければと思います。 合格

    ——————————————- 第一部:吉岡先生による講座 ——————————————-

    吉岡先生の講座風景です。

    【染めの仕事】
    吉岡先生の染めは、植物のどこかを使って染色しています。
    今は化学染料が主で、こういう仕事をするのが珍しい時代。 川が汚なく、公害の問題が叫ばれていた時代に青春時代を送っていたためか、

    公害に対する意識が強いので、化学染料には余計に反発を感じるそうです。

    自然界から色をもらっているのと、古い時代と付き合うのは結構大変。

    たとえば今年のような寒い年は、藍の成長も止まったりと大変だそうです。染司になってから、20数年になるが、毎年毎年、季節時候に沿った生活をしている。

    たとえば11月になると紅花(寒の紅)を染める。

    そうすることにより、すごく冴えた綺麗な色になる。
    12月、寒くなってくると春に取り行われる行事のための準備を行い始める。このように季節に沿ってやることが決まってくる。

    1年同じことをやっていて、つい本を書いても同じことを書いてしまったりするそうです。

    【なぜ染司を継いだのか】
    東京の大学に行ったりして、家を継がないようにしていたが、40歳を過ぎた頃に家業(色を作る仕事)を継ぐことにしたそうです。
    これは継がなきゃいけないなと感じたのは、自分が継がないと、絶えてしまう文化があったから。たとえば、東大寺のお水取の造り花に使われる染和紙の制作。

    (東大寺のお水取に関しては後述します)
    その行事は今年で1259回行われているのですが、なんと第二次世界大戦中も中止されずに行われ、つまり1259年前から毎年1回も休んでないそうです!!
    先代が昭和30年代に制作を依頼されてから、毎年60枚づつ(紅白)染めて納品していたそうです。継続しないと染める人がいなくなってしまう。

    そういうことがいくつかあり、代を継ぐことを決めたそうです。

    【早春~春】
    春を迎える頃になると、奈良の歳時記で、「東大寺 修二会(お水取)」と「薬師寺 花会式」という、大きな行事が2つ行われます。
    私は両方とも知らなかったのですが、今年は平城遷都1300年の年 だったので、さぞ盛大だったことでしょうクラッカー
    行事の詳細がよくわからないので、講座で配られた文をそのまま書きますと、

    ————–
    東大寺 修二会(お水取) 3月1日~3月14日
    二月堂 十一面観音に捧げる椿の造り花
    紅花染和紙 黄支子染和紙 を奉納する
    ————–
    薬師寺 花会式 3月31日~4月5日
    金堂 薬師三尊 に十種の造り花を捧げる
    梅 桜 杜若 百合 の四種を染色 奉納
    ————–
    このような行事で、造り花のために和紙を染色して奉納するそうです。
    お水取についてのさらに詳しくはこちらをご覧くださいビックリマーク
    両方の行事とも、厳しい行の一つであり、いったん奉納すると聖域に入っているので、作った本人といえども、紙には一切触れられなくなるそうです。

    たとえばお水取に関しては、毎年2月23日の「花拵(こしら)え」の前日までに納めることになっています。

    東大寺に納めに行くと、練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる選ばれた11人の僧と、世話人が別火坊の広間に集まり、車座になり、椿の花を作っていきます。
    造り花は 約400個ほどつくります。
    そして行事が終わった後、天皇を含め、関係者に配られるそうです。 こちらがその、関係者に配られた貴重な椿の造り花。


    アップにするとこんな感じです。


    こちらは、花会式に使われた十種の造り花。精巧にできています。

    【夏 紫の季によせて】
    初夏(4、5、6月)は先生曰く、「紫」の季節。
    たとえば京都の上賀茂神社は、初夏には紫色の杜若が咲き乱れ、くらべ馬の頃にはやはり紫色の桐の花が満開になるそうです。 染物を古くからの製法で染めようとする際に、参考になるのは古い文献です。

    日本はたくさんの文献が残っている恵まれた国だそうです。
    今では忘れられかけた伝承文化も、文献を辿っていくことでその時代に戻すことができる。
    逆に、古い文献を読まないと昔の人の色がわからない。 文献といっても、染物の専門書に限らず、古典文学小説でも参考になるそうです。

    中でも、源氏物語は、平安時代の博物誌といえ、非常に勉強になる。
    紫式部は取材能力に優れた小説家だそうです。 そんなことから、ここでは染物と文学とをからめて、

    源氏物語』 『伊勢物語』 『万葉集』から、初夏と紫に関係した染物作品を紹介していただきました。

    ———

    まずは『源氏物語』。
    一昨年は源氏物語が書かれて千年でした。
    その際に、源氏物語に登場する「色」を再現したそうです。古典染色による色布の再現は368色。
    本にもなっています。

    源氏物語の色辞典
    その際に制作した絹の色布が展示されていました。

    こちらが藤壺の襲色目。


    桐壷の襲色目。


    一枚でも綺麗ですが、襲になると一層綺麗です。

    これらの襲色目は初夏の装いになります。

    桐壷、藤壺、紫の上と、光源氏が深く愛した女性の登場人物はいづれも名前が「紫色」でつながっています。

    第一、作者名が”紫”式部ですし、源氏物語にとって紫というのは特別な意味合いがあったようです。
    (紫式部とも光源氏とも藤の花とも関係のある藤原氏の話も詳しくしてくださいましたが、まとめきれなかったので割愛します…汗
    源氏物語の話、先生は軽くさらっと話してくださいましたが、今まで私が出会った歴史、文学の先生の中で一番わかりやすかったです。アップ

    私は、源氏物語といえば、「香」の文学だと思っていましたが、お話を伺って「色」の文学でもあるんだなと思いました。

    ———

    次に『伊勢物語』にちなんで「流水の掛け軸」と「杜若の造り花」。

    こちらのお軸は、一見一枚の紙に藍を染め込んだように見えますが、実は白と藍の2色の和紙を毛足だけでつないであるんだそうです。


    わかりますでしょうか?

    日本の表具師の手仕事の凄さを感じますね。 合格

    ちなみに、 根津美術館にある尾形光琳の国宝「燕子花図(かきつばたず)」は先生から見ると「流水に杜若」という名にした方が近いのではないかと感じているそうです。

    それは、絵をみると、伊勢物語を作品の背景に感じることができるから。
    日本の美術の特徴として、単に描くのに優れているだけではなく、平安時代の文学などを入れ込むことに秀でている、たくさん本を読んで精通している、のを良しとする傾向があるそうです。確かに!と思いました。

    茶道をやっていても、茶碗や棗や軸などちょっとしたことに古典文学が織り込まれていて、よくそのことは感じていました。
    うっすらとは感じていましたが、あらためて先生に「それが日本の美術の特徴だ」いわれて、納得しました。
    やはり古典、勉強しないと(笑)

    ———-

    次に『万葉集』にちなんで「薬玉(くすだま)」。
    薬玉が登場するのは旧暦の5月5日、今の6月5日頃。
    薬狩りの日、です。
    薬用の植物や鹿の角などの病気になった時のためのものを取る日。
    いい薬のある場所にいくために、如何に早く馬に乗っていくか。

    これが、くらべうま(競馬のようなもの)の始まりです。
    のちのち、端午の節句になりました。 写真ではわかりにくいのですが、講座では、あやめのような紫の造り花がついた薬玉が飾ってありました。


    その中心の紅花で染めた丸い玉に、その日とれた薬をいれたそうです。

    この薬玉は、9月9日 重陽の節句まで飾っておきます。 万葉集に出てくる額田王の歌

    「茜さす 紫野ゆき 標野ゆき 野守りは見ずや 君が袖ふる」。(これに関しても先生は「複雑な三角関係だ」などと面白いお話をされていました)

    この歌は薬狩りの情景を歌ったもので、紫野の猟場というのが、紫草の有名だった今の「武蔵野」一帯のことだそうです。

    ちなみに、色の名前で「江戸紫」という有名な色があるのですが、この染め色は江戸の西の方でとれた良い紫を、井の頭の綺麗な川で染めたもののことをいいます。
    最近では武蔵野でもなかなか紫草は見つからなくなってしまったそうです。
    「紫のゆかり」という言い方をよくしますが、紫草は表面では気づきにくいが、その根っこは深くからまっていることから、そのように言うようになったそうです。

    【早秋 七夕】
    七夕は夏の行事ではなく、本当は初秋の行事。
    立秋(8月7日頃)をすぎないとできない行事なのだそうです。本来は、針とか糸のコマとかを飾ります。

    古からの年中行事を守り伝えている冷泉家は、その時期に5色の布を飾っています(青、赤、黄、白、黒)。

    こちらが冷泉家に納品したのと同じ5色の布+吉岡先生こだわりの紫1色、だそうです。


    短冊を笹に飾ったりなどは、江戸時代からで、もともと「着るものに対する行事」でした。

    「たなばた」も 本来は「七夕」ではなく「棚機」と書いていました。(その方が素直に読めますね合格
    その昔、中国で、絹にはたんぱく質が多く、植物からとる染料がきれいに入ることが発見され、絹の服が織られるようになりました。

    その華やかで綺麗で透明感のある服は、日本はもちろん、世界中の人にうらやましがられ、なんとか手に入れようと険しい道が切り開かれ、布が運ばれていきました。
    それがペルシャやインドやローマにつながる道、シルクロードの始まりです。七夕の行事は本来、そんな絹に対する憧れ、布を上手に織れますように、という願いがこもった行事でした。

    【秋 重陽の節句】

    菊の咲く頃の節句。
    昔の日本では今よりずっと菊を重要視していたそうです。重陽の節句では「着せ綿」という行事があります。

    菊のしずくや菊の酒を飲むと若く美しくいられるという古からの言い伝えがあり、
    そのため、節句の前日に菊に綿を着せて菊の香を移し、翌日の朝に露に湿った綿を顔にあてて、若さと健康を保とうとしたのでした。着せ綿の綿は、木綿の綿と思われがちですが、着せ綿がはじまった頃には木綿はなかった。

    木綿が普及しだしたのは桃山時代くらいから。
    だから、着せ綿の綿は絹の真綿が正解、なのだそうです。 これが「着せ綿」。


    お話を伺ったら庭に菊を植えたくなりました。

    菊ってどうもお葬式のイメージがあって、どうかなとも思ったのですが、今回使われていたのは大ぶりの菊でなく、小ぶりの野菊でした。
    野菊ならいいかな。黄色い花

    和の野菊の種を扱っている店、どこかにないかしら…。

    【終わりに】

    このように、吉岡先生は、古典の技術にこだわって、神社やお寺の仕事をしておられます。先生は、染色の仕事を通して、歳時記と向き合っていくうちに、様々な自然な流れを感じることができるようになったそうです。

    みなさんも20年に1回、とか、1年に1回とか、サイクルを作るといい、と薦めておられました。私も、本当の節句、本来の自然な流れでの「季節の節目の行事」をきちんと知って、生活の中に取り入れていけたらいいな、と強く思いました!

    ——————————————- 第二部:ほっこりタイム ——————————————-

    講座の後には毎回恒例の「ほっこりタイム」。

    楽しいおやつと質疑応答の時間です。
    今回のほっこりタイムに出たおやつは、吉岡先生のところの紅花で染めた和三盆 と 一保堂茶舗の京番茶でした。

    今回の京番茶は冷たくしてありました。

    上手にいれられたという、吉田さんお墨付きのお味でした。 飲んでみて…、確かに飲みやすかったですが、やはりいぶされた、クセのある味でした。

    紅花の和三盆は、表面に「紅」と文字がついていました。

    とても繊細で、優しい味のお菓子でした。 質疑応答の時間には、

    紫の色の出し方をビデオで見せていただきました。
    文章ではこちらが詳しいです。その他の質問と回答は以下。

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    ・色をどうやって再現するのか?
    昔、染料に使った材料が今でも保存されていることがあったり、正倉院宝物の中に退色せずに残っているものもあり、それを参考にする。
    桃山時代や江戸時代になると、さらにきれいに残っているので、参考になる。

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    ・木綿はどのくらいから登場した?
    木綿は、1650年代くらいから。
    今回の講座で吉田さんは松阪木綿を着ていました。
    松阪は木綿の産地として有名になった。
    そしてその木綿の供給から松坂屋が有名になっていったようである。
    詳しくはWikipediaにて。 対する三井越後屋(今の三越)は絹の供給で有名になっただそうです。

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    ・緑は色を出すのが難しい色?
    緑は藍と黄色をかけて使う、染めるのが難しい色です。
    なのに、位が低い人が着る色だったそうです。
    (その説明も詳しくしてくださいましたが、書ききれませんでしたあせる

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    ・まとめとして
    薬にならない植物はないし、色を出さない植物もない。
    100種類ほどの優れた色を出す植物がある。
    前の方々がたくさん失敗してきてくれているので、新しい植物を探すよりも、古い文献から学んだほうがよい、とのことでした。これは、前回の唐長さんも同じ趣旨のことをおっしゃっていましたね。

    きちんと筋道を通して物事を極めていくと、むやみに新しいものに手を出すよりも、古典から学ぶことの方が多いことに気づく、ということでしょうか。
    勉強になりますっ。アップ

    ——————–

    最後には、本のサイン会をしていました。

    ものすっっごく購入したかったのですが、今は買っても読む暇も置く場所もないことが明らかだったので、泣く泣くあきらめました。
    いつか絶対買います。スタッフの中にも、私と同じくこの講座を聞いて、本の購入を決めた人が結構いたくらい、濃い内容の講座でした。

    私は目からウロコが何度も落ちました。目

    感想として強く感じたのは、

    古典を読まねば!ということと、
    新暦のばかやろーということと、
    如何に今の時代に伝わっている行事が本来の成り立ちを忘れ、変わってしまったかということ。
    そして、もっと本来の日本文化を理解している歴史や文学の先生を学校に増やすべきだ!と感じました。

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    来月の講座は7月31日(土) 「香りに学ぶ日本文化」の予定です。
    また楽しくてためになるお話をレポートできればと思います。


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